エホバの証人とは…

 エホバの証人が用いている法的組織が「ものみの塔聖書冊子協会」です。

エホバの証人は、輸血拒否で社会を騒がせ、武道のボイコットで教育界を戸惑わせ、選挙はしない、誕生日会はしないなどで知られるようになりました。日本では同じスタイル(白い手袋、日傘、肩掛け力バンなど)、返答のワンパターンにおかしさを感じる人も多い様です。その一方で、笑顔で訪問し、身なりの整った子どを連れているエホバの証人の婦人に惹かれて、若い婦人が入信することも少なくありませんでした。

この宗教集団の創始者は、チャールズ・T・ラッセル(1852~1919年)です。彼は、米国ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれの小物商人でした。子どものころ、両親が属していた長老教会に通い、後にもっと自由な雰囲気のする組合教会に移りました。しかし、聖書に書いてある「永遠の刑罰」(マタイ25:46)に恐れをなして組合教会を去りました。十字架の購いを信じないで独自の聖書研究に入りました。彼は、セブンスデー・アドベンチストの本の中の「地獄というのは墓にすぎない」という「耳ざわりのよい話」(2テモテ4・3)を借用して、永遠の刑罰の教えに反対し、「地獄」(マルコ9:43~48)の存在を否定しました。

ラッセルは 1.地獄はない 2.永遠の刑罰はない 3.イエスは神ではないという説を立てました。1870年初め、彼が19歳のころ、ピッツバーグ市で聖書研究会を発足させ、1881年にそれを「シオンのものみの塔冊子協会」と名づけ、エホバの証人の土台を作りました。ラッセルは、キリスト教の教理の多くを否定するとともに、いくつかの予言をしました。1914年にハルマゲドンの戦争(世界最終の戦争)が始まり、1915年までに世界は終わると予言しました。詳細には、その終わりの時までに十四万四千人の「エホバの証人」が集められ、この世の政府や一般のキリスト教会は減ぼされ、「エホバの証人」が世界を統一するという予言です。彼は64歳で心臓発作を起こし死亡しました。

第二代会長の弁護士ジョセフ・F・ラザフォード(1869~1977年)は、1925年世界終末説を唱え、組織を強化し、文書配布活動、訪問伝道、毎週の報告提出の義務化を決め、イザヤ書43章10節から「エホバの証人」の名称を正式に採用しました。

第三代会長ネイサン・H・ノア(1905~1977年)は海外宣教と新しい会員の教育プログラムに力を注ぎ、1943年に「ものみの塔ギレアデ聖書学校」を創設し、宣教者養成を目ざし今日まで166か国以上に卒業生を送り出しています。1950年には、ノアと4人の指導者による『新世界訳聖書』が刊行されました。日本の工ホバの証人は「エホバ」がでてくる文語訳聖書を使っていましたが、原典からではなく、この英訳聖書から日本語訳にした『新世界訳聖書』を今も使っています。

現在、「統治体」と呼ばれる組織が最高責任機関です。この統治体は1976年に15名の理事により設立されました。1914年にイエスは空中に再臨され、この時に生きていたエホバの証人で「十四万四千人」は満ちたと教えます。十四万四千人は「天上級」とか「忠実な奴隷」(マタイ24:45)と言います。一方、そうでない他のエホバの証人は地上級で地上でハルマゲドンを通過して生き続けると言います。「天上級」の人に書かれた部分と「地上級」の人に書かれた部分があるとエホバの証人は言いますが、聖書にはない区別です。1914年の空中再臨を見たエホバの証人が生きている間に、地上再臨があると教えていましたが、「天上級」の人たちも高齢化が進み、その教理も1995年に変更しました。新しい光が差し込んで真理が明らかにされたと言ってエホバの証人は喜んでいますが、言わば自分たちの教理をめまぐるしく変更し続けているだけです。

教えの特色は以下の通りです。
 (1)イエス・キリストは、神ではなく、エホバ神に最初に創造された存在であると言いま
     す。御使いの頭ミカエルがキリストであるとします。最近、「イエス=ミカエル」説は
     やや影をひそめましたが、内容には変わりはありません。また、聖霊は神ではなく
     神の非人格的な活動力であるとします。しかし聖書には、イエスは、父のひとり子
     である神とあります。
 (2)地獄は存在しないといいます。永遠の刑罰もないとされます。エホバ神の基準に
      達しない者はみな絶滅される、と言います。
  (3)キリストの復活はからだの復活ではなく、霊的な復活であるとします。しかしキリスト
     は傷ある手を示し、魚を食べられました。
  (4)イエス・キリストの死刑は、十字架ではなく杭であると主張します。しかし、創設者ラ
     ッセルは、十字架のイエスを教えていました。

  (5)輸血が禁止され、柔道・剣道が拒否されています。
  (6)第一のアダムが罪を犯したので彼に責任があると言い、自分の罪に苦しむことが
     薄 められ、十字架の贖いが形だけとなりますから、「エホバの名」だけ伝え、その知
     識の導入が救いとなります。そのため信仰によって義とされる福音が分かりません。